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勤労感謝に猫が死ぬ。

by gogomon

10年前、片目の猫を飼っていた。病気ばかりする猫だった。
その猫を拾ったのは歌手の畠山美由紀で、車の助手席から道路を転がっているのを見つけた。体は小さく、ボロ布かと思ったそうだ。

彼女はその子猫を保護し、動物病院に連れて行った。検査をすると猫エイズと診断された。衰弱していて、すでに左眼が腐っていた。彼女の家には、にゃーくんという猫がいた。
子猫はメスなので「うにゃ美」と名付けられた。だが、一緒に飼うとにゃーくんに、病気がうつるリスクが高い。だから、隔離して飼っていた。畠山の家に遊びに行った相方がうにゃ美に一目ぼれし、僕たちの家で飼うことになった。

うにゃ美は免疫システムが脆く、体の中のウイルスが暴走すると首の付け根や胴体に腫瘍ができた。一時は目も見えなくもなった(免疫が復活すると症状がおさまった)。毎週のように病院に連れて行き、治療費に頭を抱えた。猫の治療代のために働いているようなものだった。

具合が悪いと、注射器のポンプを使って流動食や薬を飲ませた。本当に手がかかった。だが弱い分、人懐っこい猫で、僕らが仕事をしていると、膝の上に載り、キーボードの上に座っては仕事の邪魔をした。病気以外は、猫らしい猫だった。

うちにきて3年目の夏、いよいよ体調が悪くなった。首の辺りに大きなしこりができていた。
かかりつけ医に所沢の動物の腫瘍専門医を紹介してもらうことになった。電車で1時間以上かけて、その病院に行った。精密検査をすると、実はエイズではなく、メラノーマという悪性黒色腫だった。親が猫エイズの場合、生まれてすぐに検査をすると親の陽性反応が出る場合があるそうだ。失った目の奥にできていて、手術で取る以外には治療方法はないと言われた。

僕と妻が結婚した夏の終わり、僕たちは浅草の花やしきで結婚式をした。その日、うにゃ美の悪性腫瘍を摘出する大きな手術をすることになった。先生の都合で、どうしてもその日になってしまったのだ。

結婚式が終わり、浅草の居酒屋で友人たちと飲んでいる時も、手術の結果が気になって仕方がなかった。手術が終わる予定時間から随分過ぎた頃、手術を担当した深沢先生からうまくいったという電話をもらい、妻と手を取り合って喜んだ。

秋に妻はポルトガルに留学に行くことになっていた。うにゃ美との別れ際、彼女がどう思ったのかは知らない。だけど、僕は悪性黒色腫も治り、あと何年も一緒に生きると思い込んでいた。

その猫が勤労感謝の日の深夜に急死した。

正確には11月24日の1時5分。寒い日だった。
手術以来、経過は良かった。術後は今まで見たことないほど元気だったのに、ここ数日は食が細く、ほとんど寝て過ごしていた。病院に連れて行くと、かかりつけの病院は休診だった。「明日、またくるか」と思い、家と病院の途中の園芸店で猫草を200円で買って引き返した。

締め切り前の原稿が溜まっており、しばらく集中して仕事をしていた。コーヒーでも入れようとリビングに行くと、うにゃ美が近づいてきた。手足を震わせよたよたフラフラと歩いている。どうも動きが変だ。しんどいんだから、寝ときなよと言っても、僕の方にヨロヨロと歩いてくる。

嫌な予感がした。救急アニマルドクターに電話をすると、1時間ほどでやって来た。近くの駐車場に車を止め、車のなかで診察をする。眼鏡をかけた医師が「体温が34度しか無いですね。極度の貧血状態です」という。なんだ、ただの貧血かと安心した。だけど、医者はけっこう深刻なんですよと言う。

「今晩持てば何とかなると思う」

どうもピンとこなかった。

「持てばなんとか?」。どういう意味だろう。僕は割合と気楽な感じで部屋に戻った。部屋にある限りの暖房器具をつけ、湯たんぽや水筒にお湯を入れてうにゃ美を温めた。タオルをうにゃ美にかけると、身体が温まったのか、ほっとしているように見えた。だけど時間が経つにつれ、体から生気が抜けていくのがわかった。

夜の11時頃、所沢の病院に電話すると、深沢先生が当直だった。状況を話すと「オペの準備をしておきます。すぐに来てください」と言われた。彼女の声が少しこわばっていた。

段ボールに毛布をひき、カイロをほうり込んでうにゃ美をそっと入れる。ふと、やりかけの原稿を思い出し、ノートパソコン持っていくことにした。その時は、死ぬなんて夢にも思っていなかった。

段ボールを抱え、大通りまで出て、タクシーを拾う。うにゃ美は不安なのか段ボール箱の中で動こうとする。このまま飛び出してしまうかもしれない。押さえると、信じられないような強い力で押し返してくる。撫ぜていた僕の手を噛み、「ぬぐがががが、なあああ!」と、恐ろしい声で鳴く。所沢の病院にあと10分で着くという時に、ふっと力が弱くなった。箱を覗くとカッと目を見開いて僕を見た。暗い車内なのに、片眼しかないのに、見開いた目がよく見えた。

深夜12時に病院に着き、待機していた深沢先生にうにゃ美を見せたときは、もう動いてはいなかった。
「先生、さっきまで、すごい力で……」と、僕が言うと、先生が「わかりました」と、うにゃ美を引き取り、手術室に運んでいった。

僕は中の様子を通路から見ていた。気道を確保し、心肺蘇生をする様子が見える。
「あぁ、ERと同じだ」と思う。僕は遠くでじっと先生たちの姿を見ている。電気ショックを与えると、息を吹き返したようだった。

「さっきまで止まっていたのに、生き返った!」。僕は単純に喜んだ。

うにゃ美はヒョコ、ヒョコっと手を宙に上げ、まるで踊っているような感じだった。苦しいのだろうか。その様子を見ていたら、タクシーのお金を払ってないことを思い出した。

外に出るとさっきのタクシーが停まっていた。運転手は車内で寝ていた。ネームカードに多田裕次郎と書いているのが見えた。窓をノックすると裕次郎は「どうせ4時に戻ればいいからさ、待ってるよ。終わったら起こして」と、また寝てしまった。

待合室に戻ると、手術室から深沢先生が出てきた。

「今の状況は続けても苦しいだけなんです」と先生は言う。
貧血の原因は臓器から出血で、それがどうしても止まらないのだそうだ。僕が昼間病院に連れて行ったりしている間も内臓からは血が溢れ出ていたのだ。俺は全然そんなことに気がついていなかった。だから、体温が低かったのだ。アニマルドクターも機材が限られているので、細かなことまでわからなかったようだ。

もう手遅れで、気管チューブを外すかという選択を迫られた。

「中に入っていいですか?」。手術室に入っていくと、やけに明るく、天国みたいだなと思った。

毛の焦げる匂いがした。除細動器を使ったためだという。うにゃ美は目を瞑り、少しだけ手を動かしている。ああ、生きているんだな、華奢な体なのに、気道確保のために太いチューブが口から入れられていた。かわいそうに。今まで、いっぱい苦しい思いをしたし、病院で怖い目にもあったいた。はやくこの管を外してやらないと……。気道チューブを抜いてもらう。ゆっくりと、心拍が落ち、1時5分に死亡を確認した。

体をきれいにしてもらい、段ボールに遺体を詰めた後、深沢先生といろいろ話す。不思議と悲しい気分ではない。だって、いろいろやってもらったもんなあ。

つい、「つらい仕事ですね」と先生に言ってしまった。

僕の言葉を聞くと、先生はたがが外れたように、ボロボロ泣き出した。ずっとうちの猫を見ていてくれたから、いろいろ思うところがあったのだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と先生は謝った。小さな体の先生なのに、目から大きな涙がどんどん溢れ出していた。深沢先生が泣いてしまったことを謝っているのか、死んでしまったことを謝っているのかわからなかった。先生は僕に何度も頭を下げた。

タクシーに戻ると、裕次郎は口を開け、いびきをかいて寝ていた。このままじゃ僕も死んでしまう。駐車場の自販機で缶コーヒーを2つ買って、1つを裕次郎に渡し、タクシーに乗り込んだ。

「どうだった?」
「だめでした」
「あちゃー」このデリカシーのなさに救われた。

「うちね、チンチラ飼ってんですよ。血統書付き。38万」

帰り道はずっと、こんな感じだった。目白通りのコンビニの前で車が停まった。
裕次郎は真面目な口調で「氷はうちにある?」と聞く。
ああ、そうか。うちの猫は死んだんだよな。
箱を抱えて出ようとすると裕次郎が「猫ちゃんは俺が見ておくからさ、置いときなよ」とうなずいた。

コンビニで、氷の袋と線香を買った。

「うちもねー。死ぬと悲しいからいつも2匹飼ってんですよ」
料金を払うときに、裕次郎は変なアドバイスをくれた。

家に帰るとガランとしていた。
夜も遅かったが、拾い主の畠山に電話をすると、明日の朝来てくれるという。餌に線香を立て、手を合わせる。うにゃ美の体はまだ温かいし、死んだということが、どうもピンとこない。
だけど、ゆっくり体は死んでいく。体が固まっていき、体温が下がっていく。

3時頃仕事を始める。明日の朝までに「沖縄釣り紀行」をおもしろおかしく書かねばならない。
ライターとは因果な商売だと思いながら書いた。朝の6時になって、バルセロナにいた妻と電話がつながった。彼女はバルセロナの町で号泣していた。 僕もその泣き声を聞いて、はじめて涙が出た。

朝の10時に畠山がやって来て、あれこれ葬儀の手配をしてくれる。

「え?もう焼いちゃうの?今日は友引だしやめた方がいいよ」といっても、こういうことは早くやったほうがいいよと譲らない。彼女がうにゃ美を拾った場所近くの寺で焼いてもらうことになった。 葬儀場では丁寧に弔ってもらい、たいへん嬉しかった。

しかし、お経を唱えるときに厳粛な面もちの坊主が
「井上家愛猫うにゃ~み~ちゃ~ん~」を連呼するときにどうしても笑ってしまった。
骨を拾い、骨壺に収め家に持ち帰った。餌の器やトイレはそのままだし、なんとも不思議な感じだった。
気配なんてなかなか消えるもんじゃない。

その日の夜は新大久保で編集者と打ち合わせを兼ねて焼き肉屋に行った。
うまい豚肉を食べながらも、これもどこかで生きていた豚なんだなと思う。親しい編集者だったけれど、猫のことは話さなかった。猫が死んだことなんて、飼い主以外にとって別にたいしたことじゃない。

打ち合わせを終え、家に帰る道すがら、月が見えた。
その日の月は、三日月で恨めしそうな猫の目に見えた。月に向かってごめんなあと謝った。
家に戻り、時計を見るとまた1:05分だった。
うにゃ美が死んで、ちょうどまる1日が経っていた。できすぎた話なのだけど、そういうものなんだろうな、こういう時は。一口も食べられていない猫草を見ながら、僕は妙に納得した。


gogomon
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